■ おめでとう
2006年02月25日(土)

マスコミの煽りを見てると
さも彼女は特別なように思える
特別な運命
特別な挫折
特別な努力
特別な克服
特別な達成

果たしてそうだろうか?
大口叩いた割に派手に転んだ彼女にも
予選を一位で通過しながら、無惨にも重圧に負けた彼女にも
やはり、それぞれに特別な人生があるんじゃないだろうか?
いや、もっというと
これまで一度もマスコミに取り上げられることなくても、世界の片隅で、ただ情熱などという全く持って青臭いモチベーションのみに突き動かされて、努力を続けている全てのアスリート達にも、
どれも劣ることのない特別な人生が存在しているはずだ。

「おめでとう」の言葉は
決して彼女だけに贈るのではない
あの日一番高い場所にいた彼女は
ただの象徴にすぎない

「おめでとう」その言葉は勝者のみに贈られる
それがルールなのだとしたら
僕は他の全ての者たちにこの言葉を贈る
「ありがとう」

■ 全国制覇
2006年01月30日(月)

今回のアルバム
沖縄から注文来ました。
厳密には神戸の方からの注文で
沖縄の知人に送ってくれ、とのことなのですが
今回は北海道もあったので
これで、はれて僕の歌が全国に旅したわけです
本人さえまだなのに
兼高かおる、みたいだぜ!!(古)
いやあ、でも感慨深いですなあ。

先週は怒濤の展開
岩男さんが歌い出したというブログを
かみさんが見つけて
「なんかコメントしなさい」
ということで、コメントしたところ
その後とんとん拍子に事が運び
「VOICES」復活の運びとなりました
これもタイミングやね。

で、みなさん、せっかくやからさ
なんか声聞かせてよ
だいたい40越えた大の男が二人その気になったのは
リスナーからの熱い思いを感じてのこと
あんまりみなさん無関心だと
ぽしゃっちゃうかもですよ。
なにしろ僕らナイーブなおっちゃん二人やからね

岩男さんもたまにうちのサイト見に来てるので
ここは一つたのんまっせ。

■ カバーアルバム
2006年01月21日(土)

今回、2枚のアルバム
結構みなさん気に入ってくれたみたいで
少しホッとしてます。
それと同時に
オマケのカバーCDが結構評判よくて
あれに命かけてる僕としては、ニンマリ。

この企画は不定期で続けようと思ってます。
ちょくちょくスタジオ入って録り溜しときます。

で、お気に入りのカバーアルバムを二つ。
まず、平原綾香の新しいやつ。
これ最高!!!!!!!!
いやあ、この人歌上手いわ。
ふつう、実力派をかかげる女性歌手って
音域の広さをやたらひけらかす
っていうか、高いとこ出せばええとおもってるけど
この人違います。あの高さであの表現力
恐れ入ります。
特によかったのが、
1曲目「晩夏」荒井由実の曲
もう、ほんま、涙ちょちょぎれます。
無条件に涙腺刺激されるのはこの人の声だけです。
是非聴いてちょーーーーー!!

あと、原田知世の5年くらい前に出したやつ
「サマー・ブリーズ」だったと思います。
全曲洋楽のカバーですが、選曲が粋!!
彼女は歌唱力はないですが表現力が抜群
まあ、こちらはなかなか見つけにくいですが
機会があれば聴いてみてください

■ そろそろ
2006年01月19日(木)

すっかり御無沙汰です
なんもなかったんならまだしも
CD発売など、いろいろあったにもかかわらず
かれこれ一月以上書いてませんでした

とりとめもなくちょっと書きます。
「キャシャーン」びっくりするくらいよかったです。
もう旧作になってるので
是非レンタルして下さい。
もう嗚咽してしまいました。
映像だけの映画かと思ってたら大間違い
とんでもなく重いテーマです
そして素晴らしいストーリーです
唐沢寿明、宮迫博之、麻生久美子
みんな素晴らしい演技です
是非是非

先日、浜田楽器から電話
「浜田さん、エレキも大丈夫ですか?」
「専門じゃないので、あまり自信ないですが、まあ、ほんまの基礎の基礎ぐらいなら」
中一の男の子らしいです。
まあ、どんな感じのことをやりたいのかわからないので、一度体験教室ってことらしいです。

うーん、ツェッペリンとか、ディープ・パープルとかやとええのになあ。
オレンジ・レンジとかやったらどうしよー。
って、圧倒的に後者の可能性高いやろな。

ま、適当にはったりかましてがんばりましょ

とまあ、おくればせながら
今年も始まってしまったのである

えぶりぃーぼでぃー。今年も夜露死苦!!

■ 2005年12月08日(木)

時差があるから、実際には9日、
学校から帰って、居間でうたた寝してた
確かNHKのこどもニュースだったと思う
僕はまどろんだ状態で
それが夢なのか現実なのか理解出来ないでいた

ニュースは何度もくり返し伝えられた
チャップマン。それが犯人の名前
つい2、3日前に「ダブル・ファンタジー」を
買ったばかりだった。
「スターティング・オーバー」って曲が凄く気に入って、毎日口ずさんでた。

多分、今でも
日本にも沢山かれのファンはいるはずだ
僕はどうしても不思議なことがある
きっと、
彼と小泉を同時に好きな人が沢山いる
とてもねじれてる。

12月、街はクリスマス気分
あちこちから思い出したように
ジョンの声
そして俺ときたら
いつもこの頃になると
何かやり残したような
柔らかな後悔をする

今年もまた「イマジン」は
虚しく響く
それはもう、ただの
恋人達のBGMでしかないように

■ ギター教室
2005年11月28日(月)

今日、譜面立てを借りに、浜田楽器にいった時
「ちょっと相談がある」とのこと
内心、スタジオ代上げられるんちゃうやろか。
とドキドキしてたら、
「ギター教室してくれん?」とのこと。
まだ、生徒はひとりらしいが、
ちゃんとお給料もいただけるらしい。

正直、ほんま嬉しかった。
俺もなんか、音楽で生活に役立てたいおもてましてん
金額ちゃいますねん
一応ライセンス有りぐらいの評価ほしいなって。
まあ、僕のギター我流やから
なかなか上手く教えれへんかもしれんけど(かみさんが言うには、「絶対説教ばっかになる」そうです。)
自分も基本に帰るつもりで謙虚にやろうおもてます。

皆さんの中にも、
僕にギター習ってもいいと思うような
物好きいてます?
安しときまっせ!!チッチキチーやで!!

■ ありゃ。
2005年11月26日(土)

なんか、随分御無沙汰したみたい
嵐のような3ヶ月でした。
なんてったってフル・アルバム二枚だもの
もう、こんなことないやろな
今、遠くに鬱の足音が聞こえて来てます
でも、もうちょっと待って
あとまだ、こまかい仕上げが残ってます

あ、そんなん言うてる間に
明日はライブやん!!
来月も決ってる!!!
再来月は「リクオ」のライブにゲスト出演!!!!
もちろん、アルバムも発売!!!!!
鬱は来年の夏までお預け!!!!!!

■ 歯痛
2005年11月07日(月)

30日のTSUTAYAのイベントの日の夜から
微妙に痛かったのよ。
僕の場合、虫歯よりも肩凝りから来ることが多くて
特に、精神的に緊張したりするとね。
結構、あのイベント緊張したんですよ。
あちこちにポスターとかもあるし。
で、歯痛は二日もあれば治るだろうと、
タカをくくってたの。

ところが、どんどん痛くなって、ほぼ一週間
こりゃどうも虫歯かも?
いやあ、本当に痛くて、口が開けられん。
土曜の夜がもうピークで、
週明けても痛かったら歯医者やな
って覚悟してました。

そんでも、あんまり僕が痛がるもんで
かみさんがインターネットで調べて
歯痛に効く掌のツボを押してくれました。
これがまた痛い!!
あの人のどこにそんな力があんねん?
ってぐらい、とにかく痛かった。

で、一晩明けると、
あれ、ちょっとマシかも?
そのかわり、掌痛い!
僕は、漢方も、鍼灸も、
とにかく、東洋医学というものを全く信用していません。
でも、確かに痛みは明らかに軽減してる。

月曜日。
どうやら、歯は大丈夫みたい。
でも、肩が強烈にこってる。
頭痛もひどい。
ライブやらレコーディングやら
ちとはりきり過ぎたかな?
でも、まだ半分。
ちょっと休憩します。

■ 大江さん来たりてギブソンを弾く
2005年11月02日(水)

30日の早朝、
「今、駅に着いたよ」
と彼から電話が入った。
僕は前夜からの夜勤明け
タクシーで役所まで来てもらうことにした。
で、5分程後、
現れた彼の手には見なれないギター・ケース
確か、ギターは前回来た時に家に置いたままのはず
しかも、あのケースはどう見てもアコースティック・ギター

ケースを明けてびっくり
「ギ、ギ、ギブソンやん!」
一見J-50にも見えるが、どうやらひと回り小さい
ほんの最近入手したらしい。
そんなこと一言も言ってなかったのに

ギブソンや、ああギブソンや、ギブソンや。
もう、こいつが御機嫌なの

ライブ明けた31日、
一日スタジオにこもってレコーディングしたんやけど
もうね、二人でなんど泣きかけたことか
なんか、ここにきて僕らアコギに目覚めちゃいました。
また、僕のFGと上手に解け合うのよ
んでもって、僕の新兵器
真空管マイク「ザイドVT-2000」との相性もばっちり
まさか、今度のアルバムにこんなゲストが出演してくれるとは、思いもよりませんでした。

いやあ、もう本当、凄いから楽しみにしててね

■ プチナショ
2005年10月27日(木)

僕がアンチ・タイガースなのは
今更言う事でもないと思いますが
実は、少年時代は熱狂的なトラキチだったのです。
でも、関西に住むようになって
すっかりアンチになりました。
ていうか、阪神自体と言うよりは
阪神ファンに嫌気が差したっていうのが正しいかな
とにかく、あの品の無さたら、あー恥ずかし。

で、ちょっと阪神ファンの方に言いたいのですが、
あなた方、御自分達を反体制だと思ってません?
巨人ファンという保守に対する。
いやいや、今やあなた方は立派な保守勢力ですよ。

坂本龍一氏が辺見庸氏との対談の中で
「愛国心、ナショナリズムなんてものは、諸悪の根源で、例えば巨人ファンなんていうのは、その最たるものだけど、実は大阪の阪神ファンや、名古屋の中日ファンもなんの変わりもない。地元というなんの根拠もない理由で、熱狂的に応援したり、その相手を憎んだりする、その感覚こそが、実は恐ろしいナショナリズムの末端なのだ。」
っていうよなことを言ってたけど、まったくもってその通りだと思う。

で、話しは戻ります。
高知県は、安芸市がタイガースのキャンプ地なのもあって、比較的(かなり)阪神ファンが多い。
まあ、それは馬鹿な大人のことだからしょうがないと思ってた。
でも、どうしても見すごせない出来事が新聞やニュースで、しかも非常に好意的なトーンで流されてた。

今回の日本シリーズにあたって
安芸市の小学校の給食のメニューに
「阪神タイガース応援メニュー」が出されたらしい
「トラボナーラ」とか、なんとか、
まあ、見た目に黒と黄色を強調したメニューらしい
これを食べて、みんなで阪神を応援しよう
と言うことらしい。
これって、問題無いんでしょうか?
どこを応援するとかいうのは自由でしょう?
ましてや子供、きっと複雑な問題があると思うけどなあ。
仲間はずれが恐くて心を偽ったり、
これが、通知表でいうところの
「協調性」なんてことなんだったら大変でしょう?
なんか、最近の通知表には、
学校によっては、「国を愛する心がある」なんていう項目もあるらしい。
微笑ましいトーンで報道されたこの記事のように
奴らは、いい人そうな顔で近付いてくるよ。
みんな気を抜いちゃだめだよ。

■ ポスター
2005年10月21日(金)

今、TSUTAYAさんへ行って来たんやけど、
びっくりした!!

今度のイベントのポスターが出来てて
で、入ってすぐの所に貼ってました

俺、デカ!!

昔の国際プロレスのポスターでいうと
ラッシャー木村か、アニマル浜口ぐらい
剛竜馬よりは確実に大!!

ただ、プロフィールが、
「メジャーから、三枚のCDをリリース。」
となってて、
厳密に言うと、1枚目は完全な自主制作でして、
3枚目も結局、市場にならんでないので、
かろうじて、2枚目だけがメジャー扱いなのです。
しかも、メジャーインディーズやし。

まあ、なんかで訴えられたら、
サッチー(懐)みたいに、売名に利用しましょう。
ついでに、「厚生年金もはろてないよ」って
「人生、いろいろ。ミュージシャンも、いろいろ!!」ってね。

まあ、なんだかんだで、地元ではちょっと格上がったのかな?

とはいっても、こんなレベルで満足なんかしてたらあかんので、
もう一丁、がんばってみますわ。

■ ヨイトマケノ唄
2005年10月10日(月)

槙原君がカバーアルバムを出した。
確か、第2弾でしょう?
前回のも凄く良くて、
この人オリジナルよりカバーが断然いいなあと思った
「秋の気配」「朧月夜」どれも秀逸だった。
今作には「ヨイトマケノ唄」が入ってるらしい
美輪明宏の名曲
最近の美輪さんの発言なんかも
実に正しく、素晴らしい
そんな彼の魂のこもった名曲
実はこの曲、
過去にも、泉谷さん、桑田さん等
結構カバーされてる。
実にテーマの重い曲なのに、ちょっと不思議。
きっと、今回のマッキーのも素晴らしいできでしょう
でも、彼等にひとつ聞きたい。
なんか、この曲「免罪符」にしてない?
この曲歌ってるってだけで
なんとなく許してもらおうと思ってない?
ちょっとずるいな、
やっぱ、唄歌いたるもの、
自分の唄と生き方にはある程度矛盾はなくしなきゃ
犠牲が大きければ大きい程
心に届くと思ってる。
ていうか、俺の唄は心に刺さって欲しい。

■ 真空管マイク
2005年09月17日(土)

ネットでちまちま検索してて、
やっと見つけました。
僕が、今までのレコーディングで使ってたマイクは、
ダイナミックタイプってやつで、
これは基本的にはライブ用なんですね。
レコーディング・スタジオとかで使ってるのは
コンデンサタイプってやつなんです。
京都時代の3枚はもちろん、
スタジオ録音なのでこいつを使ってます。
やっぱり、生にこだわると、雲泥の差なんですよ。
「トラヴィス」をコンピューターで作って、
「Prisoners in The Heaven」をアコースティックで作って、
やっぱり、僕にはこっちかな?とも思ったんですよ
でもね、やっぱり良い物は高いわけですよ
でね、かれこれ2ヶ月程ネットでさがしてたの、
ちまちまと。
そしたら、あったのよ
お手頃のコンデンサマイク。
しかも、その中でも、ヴォーカルや、アコギに適している、真空管タイプが。
しかも80%オフ。新品。
まともに買うと10万円近くする代物が、
なんと1万円台。
ネットでその商品について調べてみたけど、
これといった問題はナシ。
っていうか、最近注目のメーカーらしい。
そのお店も以前から買っている店で、
良心的な、感じのいいお店。
買っちゃいました。
これで、「トラヴィス」の収益は全部終わり。
でも、今までの音楽人生で、
これほどまでの実益をもたらしてくれたCDは始めてです。
京都ライブ、MTR、真空管マイク
これだけのものを与えてくれました。
もちろん、みなさんあってのことですよ。
ちゃんと、全部、音楽に還元してますよ。

で、ちょっとスタジオ入って録音してみました。
す、す、凄い凄すぎる!!
もうね、生の音が半端じゃなく凄いのです。
ところが、5曲目くらいから、みょうなノイズが・・・
どうも、不良品みたいです(泣)
でも、お店に連絡したところ
すぐに交換してくれるとのこと。
音的には素晴らしいことはわかったので
早く、レコーディングを再開したいものです。

で、最近BBSで、しともくんや、むらかみくんと
語ってる話題。
結構、内容のある、面白い話題になってると思います
彼等は確かに非常に知識もあり、時代に対する認識も深く、僕自身、とても刺激になります。
よかったら、みなさんも意見お聞かせねがえませんか?
彼等のように知識や文章力はなくても、
全然問題ありません。
自分でいうのもなんですが、
確かに、僕の意見は正しいと思います。
それは自信があります
そうでなけりゃ、唄なんて作れません。
でも、これは飽くまで理想論なのです。
僕のようにドロップアウトしてる人間だからこそ
言える意見で、
実際に社会の中で必死に生きてる人達には、
正直、役に立たないものばかりかもしれません
だからこそ、そんな声も聴かせて欲しいのです。
最近僕のテンション上がって来てるのわかるでしょう?
しともくんや、むらかみくんに凄い刺激を受けてるんですよ。
実は、こうしてBBSで対話をすることが
僕の創作活動に凄い影響を与えてくれるんですよ
いま、来年リリース予定のニューアルバムの曲の制作に入ってるんですが、じつに好調です。
「地球のみんな、オラに少しづつ力を分けてくれ」
by孫悟空

■ マンガ
2005年09月07日(水)

最近めっきり読まなくなりましたね
だから、今話題の「NANA」なんてのも
全然知りません。
宮崎葵、中島美嘉の組み合わせは
食指の伸びるところではありますが・・・
まあ、ビデオになったらね。

確か、15年位前かな、
「ちびまるこちゃん」にはまって、
あれが、多分一番最近。

僕の中のNo1は「がんばれ元気」
もう、これ以外考えられません。
唯一、コミック全巻揃えました
高校の頃。
で、大学の時にも、もっぺん揃えた
何回読んでも、おんなじ所で泣く
解ってても泣く。
とうちゃんが死ぬところ
三島さんが死ぬところ
「堀口、強くなったな」
「ちがうよ、三島さんが弱くなったんじゃないか」
もう、今、すでに泣いてる(ちょっと嘘)

高校の頃には、あだち充にはまってた時期があった
「タッチ」「みゆき」「陽当たり良好」etc
特に、「タッチ」にはかなりはまった
ちょうど、リアルタイムで連載されてて
毎週「少年サンデー」の発売日には
放課後、本屋に直行した(飽くまでも立ち読み)
和也が事故で死んだ回には
店頭で号泣した。
学ランで、坊主頭。かなり怪しい。

なんか、映画になったらしいね。
最初、野球の上手い双児ということで
「たけし軍団」のポップコーン?
って思ったけど、どうやら取り越し苦労だったらしい

あの、別に否定的じゃないですよ、意外にも
長澤まさみ、うまいもんね
まあ、ビデオになったらね(笑)

ちなみに、「タッチ」ってアニメ(劇場版)にもなってたよね?
なんか、その後のストーリーみたいなやつあったけど
あれ、いただけんね。
やっぱ、「タッチ」は高校時代まででしょう
マンガのラストが凄くよかった。
甲子園決めて、
一回戦のマウンドに立ったところでカットアウト
大会中は一切描かずに、その後の日常に変わる
で、最後の最後に優勝盾がでる。
たしかそんなんやったと記憶してます。

あの頃の、あだち充って、
結構ええとこついてたね。

■ 秋の気配
2005年09月03日(土)

やっとですね。
昔から勝手に決めてるんです
僕の季節だって。
そりゃもちろん
日中はまだまだ暑いですわ
でもね、ふとした瞬間にあなた、
背中にそっと立ってるじゃないですか

とりあえず
地元のライブがいくつか
きっちりとやりまっせ
たった一つの取りえやから
お金だって稼ぎまっせ
やっぱ、年に一回くらいは京都行きたいもんね
そのためには、ギャラのいいライブやらな
そのかわり
音楽で稼いだ金は音楽に使います。
そうですとも
機材買って、CD作って
ツアー行きましょうや。

学祭の季節やね
雲の感じがええね
歌うのが一番気持ちええ季節ですわ

■ アニバーサリー
2005年08月16日(火)

年に一度、取って付けたような反省
こちとら、一年中考えてるもんだから
ついつい冷ややかな気持ちになったりするが
それでもまあ、しないよりマシだわな

とにかくさ、
問題の解決手段に暴力は否なのだ
そんなもん表面上押さえ付けてるだけで、
心の中は屈辱と復讐心で煮えたぎってる。

自爆テロなんてのも、
もちろん、決して認められるもんじゃないが、
どこかしら、矢吹丈のクロスカウンターみたいで
アメリカさんの物量作戦に比べりゃ
気持ちもわからんでもない

でもさ、ここはぐっとこらえようや

非武装中立
今更ながら、この言葉が一番美しいのだ。

■ ファシスト解散
2005年08月09日(火)

今回の衆議院の解散について一言
まず、自分の思い通りにならなければ、首を切る、
というのは、もう、ファシズム以外の何ものでもないでしょう?
それと、参議院の否決をもって、衆議院を解散。
ていうのも、道理に合わん。
彼がいうように、郵政民営化法案に反対する者を、
自民党として認めるわけにはいかない、というのなら、何も、参議院の否決を待たなくとも、衆議院の裁決の時点で、反対者を処分すればいいことで、
参議院で、否決されたら、衆議院を解散して、反対した人達を公認しない。というのは、やくざ顔負けの恫喝以外のなにものでもないでしょう。
それと、世間の人達は、参議院の意味をよく解ってないのではないのでしょうか?
一応、中学の社会科で、ちゃんと習うんですが、
そもそも、衆議院の他に、なぜ参議院があるか?
というと、
首相の横暴などで、衆議院で著しく問題がある法案等が決った時、果たして、それに問題が無いかを、改めて、別の機関でチェックする必要がある。
そのための機関が、参議院なわけです。
ということは、
今回のことは、参議院としては、至極健全な行為だった、ということです。
いままで、ともすれば、ただの刺身のつま、でしかなかった参議院が、初めて、本来の機能を果たした、
と言えると思いますよ。

あと、「郵政民営化」にも一言。
僕は反対です。
確かに、赤字を減らして、利益を追求する
ということで言えば、それ以外に方法はない、と思います。
でもね、なんでもかんでも利益って優先されるべきなのでしょうか?
例えば、最も利益からはなれた労働ってなんでしょう?
「ボランティア」ですよね。
これって無駄なことでしょうか?
人間には、確かにその人の経済レベルに合わせて
受けられるサービスがある、と思います。
家とか、車とか、ブランド品とか。
まあ、僕としては、それさえ嫌なのですが・・・。
それとは別に、とりあえず、誰もが平等に受けられるサービスっていうのもあるはずなんです。
国営、っていうか、公営の機関のサービスっていうのが、それにあたると思います。
利益だけを追求したら、今みたいな料金で、とんでもない山奥の一軒家や、海に浮かぶ離れ小島になんか、
絶対配達できませんって。
でもね、そこにも人は住んでるんです。
年令や、体調のせいで、もう何処かに移り住むわけにもいかない人達が、たくさんいるんですって。
そんな人達のために使うお金が、
果たして無駄なのでしょうか?
戦車より?ミサイルより?原子力発電所より?

かつて、国鉄を民営化してJRになって、
株価も上がり、利益もでました。
でも、それが辿り着いたのが、
この前の「尼崎の事故」だったのじゃないでしょうか?
ギブ&テイク。テイクにはギブが、
メリットにはリスクが、必ずついて来るのです。
そして、それを背負わされるのは
結局、弱者なのです。
自分の場所がまんなか、だなんて決して思わないで下さい。
水は、どっかでせき止めたりしてはいけないのです。
そうすれば、ちゃんと一番低い所から潤してくれるのです。

■ 取らぬたぬきの・・・
2005年07月31日(日)

がんばって書くつもりだったのに、
日記も、コラムもほったらかしで、どうもすみません
日々、書きたいと思うことや、瞬間がないわけではないのですが、ついタイミングを逃してしまって・・・
で、今日は無理矢理。
夏休みの目標を立てるように、
今後の活動予定でも書きます。

とにかく、ライブをひんぱんに出来るという状態にはまずならないので、せめて音の方はある程度間隔で出したいと思ってます。
とは言っても「TRAVIS」のようなオリジナルアルバムは、そうおいそれとは出せないので、まあ、来年中ぐらいに出せれば、と思ってます。
で、それとは別口で考えてるのが、
「結露」のようなバラードアルバムと、以前「ネイティブ・ブルー」におまけで付けた「パーマネント・ヴァケーション」のようなカバーアルバム。
これを、なんとか年内に作れたら、と思ってます。
決して利益優先ではなく、少しでもなんか作ってたいので、2枚組で1000円くらいでどうでしょう?
もちろん送料込み。
まあ、そんな宣伝とかも派手にせずに自然体でぼちぼち作っていこうと思ってるので、こまめにチェックしといてください。

■ 夏の歌
2005年07月16日(土)

とにかく暑い
それこそ、何もかも溶けてしまいそうなほど
差別とか、偏見とか、国籍とか、国境とか、
いっそのこと全部溶かしてくれればいいのに、
日本も、アメリカも、中国も、韓国も、北朝鮮も、
全部ドロドロに溶けて、
もう一度、ただのまんまるい地球に戻ればいいのに、

と、ここまで書いて、精一杯。
もう少し待っててね。
もう少しでまた、元気になるから。
鬱に暑さ。
もっとも弱い季節なのです。

■ はじめの一歩
2005年06月27日(月)

いつのことだったか、
多分、ほんの些細なことで言葉が生まれ
そして、何かの偶然みたいにメロディーがついた
そんなふうな、小さな化学反応が何度もおこって
唄がうまれた。

そうやって、最初の一小節がうまれてから、
もう数えきれない数の歌達が生まれて
そして、いつしか、彼等は
勝手に旅をするようになった。

確かにそれは、有名な誰かさん達に比べると
とても小さな旅ではあるのだけど、
それでも、普通に暮らしてては、到底届くはずのない場所や、人の所に届いてる。

例えば、信号待ちの誰かの車のステレオで、
例えば、通勤ラッシュの電車の中の、誰かのイヤホンの中で、
僕が作った歌達は、しっかり歌い続けてくれてたらしい。
そして、その歌達は、
一方的に僕の思いを届けるだけでなく、
時に、かけがえのない友たちを、
僕の前に連れて来てもくれる。

最初の言葉がなんだったのか、
何故、そいつを作ったのか、
今となっては、そんなことはもうどうでもいい
きっと、今も何処かのまちをうろついてんだろうな

■ Hello My Old Friends
2005年06月24日(金)

調子はどうだい?
随分と御無沙汰だったな。
俺は取りあえず、相変わらずだった、と言っておこう
もちろん、色々あった上で、相変わらずだと

取りあえず今日まで生き延びて来た
敗北に近い挫折や、
絶望に近い失望ってやつを、いくつも舐めてきたけど
どうやら、まだ、立ってられるらしい。

そして、ここからもう一度始まる歌を、
みんなの心に刻み込めれば幸せだ。

とにかく、俺みたいなポンコツに
長い間付き合ってくれてありがとう

もう少し先まで、付き合ってくれるかな?
せめて、明日、最後の歌を歌い終わるまで。

■ ルーツ
2005年06月13日(月)

本当はテレキャスターが欲しかったんだな、
「明日なき暴走」のジャケットで
ブルースが持ってるようなやつ。
色はナチュラルで、ワイルドな木目むきだしのやつ
願わくば、ヘッドにはFenderのロゴ。

そこまでは無理だってわかってた。
でも、とにかく、にせものでもいい
僕は、ブルースみたくなりたかったんだ。

で、とりあえず、思い付いたのが
楽器屋でバイトすること。

いくら20年前とはいえ、
時給350円は酷かったな
しかも、当初の約束はことごとく破られ
下手すると、一日2時間、週二日しか働かせてくれない。
往復のバス代だけで320円かかるんだぜ。

それでも、やっと手に入れたのは
理想とは大きく違うクリーム色のテレキャスター
おまけにヘッドにはFresherなんていう情けないロゴ

「こんなのロックじゃねえ、これじゃあブルースになんてなれねえ。」
バンドがやりたかったんだな。
だって、85年だぜ。ボスが初来日した年だぜ。

俺は、しょうがなく、ロッカーの道を諦めて、
今やってるような、しんきくさい歌を始めた。

失意の中、ボスのアルバムを全部聴いてた時
「ネブラスカ」に出会った。
ロッカーの彼が作った、アコースティック・ギターとハーモニカだけで作ったアルバム。
なのに、
「うわ、これこそロックだ」って思った。
いつか、こんなアルバム作りたいと、
「日本のネブラスカ」とよべるようなアルバムを作る
いつしか、それが僕のテーマとなった。

88年にリリースしたLP「Prisoners in The Heaven」
は、そうなるはずだった。
でも、さんざんだった。
俺はあのレコードは俺のキャリアから抹消したいし
誰にも聴かせたくない。
技術がどうとか、楽曲がどうとか、そういう問題じゃない。
あの頃の俺は、
人に何かを伝えるということの意味を、まるで理解してなかった。
その結果、まるで魂のこもってない、屁みたいなアルバムになった。

今、やっと作れそうな気がした。
そして、完成した。
タイトルは「Prisoners in The Heaven」
アコギとハーモニカ、極力ダビングはせずに
一人だけで、ちまちまと作った。
なんとか、6月25日までに間に合わせようと。
すべりこみセーフ。
新曲は一曲もない、ただし未発表曲ばかり。
あのころ、あの、BIGな誰かのために沢山書いた曲の中で、
どうしても渡せなくて、自分のポケットにしまいこんだ曲達。
四畳半(実際は五畳)の部屋で、アパートの屋上で、
ギターをつま弾きながら、必死こいて、歌を作った。
そんな空気を真空パックしたようなアルバムだ。

とりあえず、ライブ会場だけの限定発売。
よかったら聴いてみてくれ。

■ ちびくろ・さんぼ考
2005年06月10日(金)

17年ぶりに「ちびくろ・さんぼ」が復刊になったらしい。
今、(10日午前9時半)テレビのワイドショーでやってる。
だいたい僕らの世代の人達が、主に今回の復刊を歓迎しているようだ。
彼等は、自分達が子供の頃、父母や、先生達からこの絵本を読み聞かされた思いでが、素晴らしい記憶だったらしく、自分も、自分の子供達に、同じように「ちびくろ・さんぼ」を読み聞かせたいらしい。
僕も、当時この本を読んで、夢中になった一人だ。
だからといって、人は自分の楽しかった記憶や、大好きな父さんや、母さんの記憶を、無条件に全部肯定したり、美化しちゃっていいのだろうか?
廃刊になったのはそれなりに理由があったはずだ。
僕の記憶では、確か、「さんぼ」というのが、黒人に対する蔑称にあたる。ちび、くろ、などという表現が差別的である。というようなことだったと思う。
廃刊が決った88年当時、僕はもう社会人だったが、
「確かに、あの本は楽しかったし、あれを読んでる時、別に差別的な意識はなかったが、しかし、それを不快に感じる人がいるのなら仕方ないだろうな」と思ったのを憶えている。

小山さんの歌にも、色々クレームがついたものが多く、発売できなかったり、歌詞を直して発売したり、と色々なケースがある。ただ、僕が感心するのは、彼がその問題に対して確固たるポリシーを持って対処している点だ。決して、権力に対して屈する形では対処しない。ただし、明らかにその表現が、誰かに対して、不等な不快感を与えると判断した場合は、潔くその表現を訂正する。
「PASSING」という曲がある。当初「いつか川を越えて」というタイトルの曲だった。その歌詞の中で、
「川向こう」という表現があった。
しかし、それは被差別地区を指す蔑称だという指摘があった。
彼は、「その表現によって、不快な思いをする人達がいる事を納得し『向こう岸の』と表現を変えた。」

少し話しがずれました。
要するに、その作者に悪意が無かったとか、子供達には差別意識は無い、とか、そういうことが問題じゃない気がする。
人はよく、純粋なものや、イノセントなものを美化するけれど、そういうものの中にある罪こそが、最も始末におえないもののように思う。

僕としては、自分の中の楽しかった思いでの一つや二つ、別に汚れたところで、それによって誰かが傷付くことに比べたら、ドンマイ。で、ドンウォーリ−なのである。

■ ブルー
2005年05月25日(水)

なんか、日記久しぶりですね。
うーん、もひとつテンション上がらんなあ。
最近、空の感じが、妙に秋っぽくありません?
色とか、雲の形とか、
なんか、初夏って感じじゃない、
運動会とか、文化祭の頃の感じかな?

なんとなくブルーなのはそのせいかな?
もし、僕が突然死んだりしたら、
きっと、この空のせいだと思ってください

ってか。

■ 地域振興
2005年05月10日(火)

今日も西沢君の話題。
っていうか、僕、本当友達少ない。

西沢君の家は農家で、主にメロンなんかを作ってる。
毎年、出荷の後なんかは、マスクメロンを沢山いただく。
少し傷があって出荷できないのなんかを、食べきれないほど。
で、ほかにも、米なんかも作っていて、一度少しいただいたのだが、これがすこぶる美味い。
以前から、余裕が出たら売って欲しいとお願いしてたのだが、米の方は生産量が多く無いらしく、なかなか買うことが出来なかった。
最近、やっと余裕が出たらしく、
もみつきの奴を30ほど、破格値で分けてもらった。
米は、取れた日よりも、精米日の方が重要らしく、
食べる分を、こまめに精米しながら食べるのが美味しいらしい。
中村は農業地帯なので、いたる所にコイン精米機があるのだ。
おかげで、毎日美味いごはんにありつけてる。

それにしても、僕は自他供に認める日本嫌いのくせに、フェイバリットなものは、やたらと日本的なものが多い。
ようするに、これが愛着というもんなんだろう。
世界中、長い年月をすり抜けて残ってるものは、多分どれも素晴らしく、優劣なんかないんだと思う。
それなら、近場のもんでええんちゃうの?
てな感じですは。
愛国心などという言葉で、尻込みしてまうけど、
ようは、大差がないなら身近なもんですましとこ、
と、それが、ひいては地域振興やら、地元への愛着みたいなもんに繋がれば、それはそれでOKでしょ。
でも、かと言って
エリック・クラプトンの代わりに、柳ジョージでええいうわけにはあきまへんで。

■ 年寄りの冷や水
2005年05月08日(日)

京都ライブに向け、及び健康のため、トレーニングを始めました。
週に一回、西沢君の練習場で、格闘技と基礎練。
二日に一回、約4のウォーキング。
それ以外の日は、腹筋20×2セット、腕立て20×2セット。
最初、もう筋肉痛の嵐でしたが、2週間程経った今、
それも無くなりました。
腹筋を重点的にやってるせいか、心無しか、声が良く出るようになった気も・・・。
元々は、あんまり不様な体型でステージに立つのが心苦しい、という、実に情けない動機だったわけですが、どうやら予想外の成果です。
でも、2ヶ月じゃあ、劇的なダイエットは無理やろうなあ。
まあ、努力の跡だけは認めてね。

■ タガタメ
2005年04月29日(金)

桜井君の曲で「タガタメ」という歌がある。
「子供達を、被害者にも、加害者にもしないで、
なんとか生きて行けないものか」
というような内容だったと思う。

でも、それはきっと無理だ。
好むと好まざるとにかかわらず、これは、僕らが選び、そして作り上げた世界だ。

この世界で起こる全ての出来事に於いて、
僕らは悲しい被害者であり、
そして、立派な共犯者だ。
どんな、信じられないような、非現実的な事件でも、
僕らは、逃れることなく、当事者だ。

一分一秒のスピードに一喜一憂し、
一円十円の違いに敏感に反応する。
全てのリターンには、必ずリスクがセットになっている。
それが、資本主義の基本で、
僕らは、選挙によってそれを選んだ。

何年か前、報道番組のアンケートで、
もっと、貧富の差が広がって、それぞれの階級がはっきりする世界。と
弱者への救済に力を入れ、誰もが平均的な幸福を手に入れれる世界。
では、どちらが良いか?
というのがあった。

前者が圧倒的多数だった。

ごらん、これが、その世界だよ。

地下鉄を乗り継いで、辿り着いた天国は、いかがなものですか?

便利になって、豊かになって、
さあ、次は軍隊でも持ちますか?

■ 無題
2005年04月27日(水)

運命とか、宿命とか言う言葉は嫌いだし、認めない。
自分の人生が何かに勝手に支配されたり、
最初から決められてたり、
たとえ、どんな不幸な人生でも、やっぱり偶然の積み重ねの先にのみ自分の存在があって欲しい。

すべての人に、その人数分の人生がある。
それぞれの道は、ある場所で交わったり、一生交わらなかったり、交わった後、一つになったり、また別れたり。
どっちにしろ、その後も、道は続いて行く。はずだった。

その日、ある人はいつものルーティン通りに、
ある人は、なにかの事情で、
この先も続くはずの道を歩いて、七つの箱に集まった。
そして、何分か、何時間後には、又、それぞれの方向に歩いて行くはずだった。

でも、そのうちの多くの人達の道は、その箱の中で終わってしまった。

尼崎は、「ブラントン」があって、僕らは何度も歌いに行った、とっても思い出深い街です。

どうか、この悲しい記憶だけが、あの街を、この先ずっと覆い尽くさないように祈るばかりです。

■ ミニカ
2005年04月19日(火)

実は、車を買い替えることになりました。
今年の10月で車検が切れるので、一応それまでには、と考えていたのですが、まあ、いろんなタイミングが重なって、買うことになりました。
今のミニカは、現在走行距離18万3千キロ。
買った時が8万キロだったので、4年で10万キロ走った事になります。
車検の度に「もう、買い替えません?」と言われつつ今日まで乗り続けたのは、正直、愛着とかそういうことではなく、単にお金が無かっただけなのですが、さすがに「お前、ようがんばったなあ。」と思ってしまいます。
明日、来る車はシルバーのミラです。平成16年式で走行距離2千キロという奇跡のような車です。
こいつで、京都に行くつもりです。
さあ、ライブまで後二月。

■ 縁起でもない
2005年04月16日(土)

今日、業務内容の説明のため、うちの社長と、労働監督局へ行った。
去年僕らを雇ってた業者に問題があって、今年僕ら職員をそのまま引き継ぐ形で、新しい業者が、僕らと役所の間に入ることになり、その業務内容に問題がないかどうかを、直接、監督局の職員に説明するためだ。
僕は一応職員代表ということらしい。
で、その監督局の担当の人の名字が無茶苦茶珍しい名前で、名刺には、「唐牛 ・・」と書いてあった。
なんか、内気な人らしく、ぼそぼそと小声で喋るひとだった。その、蚊の鳴くようなな自己紹介を聞いて、耳を疑った。なんと、「唐牛」と書いて「かろうし」と読むらしい。労働監督局で「かろうし」はまずいだろう。縁起でも無い。

■ シマコ
2005年04月14日(木)

うちには、結構たくさんのノラが来る。
最多の頃は十匹ほどいた。
中には怪我で死にかけてる奴とかいて、
病院代にかなり出費があったりもした。

長い間御無沙汰だった、シマコがここ最近頻繁にやって来だした。
どうやらお腹が大きいみたい。
出産の頃になるといつもうちに来る。
二日ほど顔を見せなかった。
もうぱんぱんだったので、そろそろかな?とおもってたら、さっき来た時お腹がしぼんでた。
これで、三回目の出産。
彼女の母「こぱんだ」が彼女を産んだ時からのつきあいだ。
彼女は彼女の兄妹の中では、一番わがままで、きまぐれだ、顔は「柴崎コウ」に似てる気がする。
これまでの彼女の仔達は比較的健康だが人見知りする。
ごはんを貰ってるくせに、未だに逃げる。
シマコはいつもそれを詫びる。
「シマコ、早く連れておいで。」

■ 筋肉痛
2005年04月10日(日)

昨日から遂に格闘技の練習を始めました。
とは言っても、西沢君の自主トレのメニューで、
なんとかついて行けそうなものだけをとぎれとぎれ付き合わせてもらっただけですが・・・。
そのあとで、打撃の指導をしてもらって、最後に申しわけ程度に僕がグラウンドを教えてあげて、まあ、だらだらと休み休み、1時間半程やりました。
もう、身体中痛くて動けません。
うちのトイレが洋式で良かったです。
西沢君、君は偉い!!!
あんなん普通にやってるなんて、信じられません。
40歳を越えたおっさんには過酷すぎます。
ぼちぼち、邪魔にならないようについて行くので、
これからも、お手柔らかにお願いします。

あ、それと、我が中村市は、本日四月十日、四万十の日をもちまして、四万十市に名称が変わりました。
ああ、ややこし。

■ 田原総一郎
2005年04月07日(木)

最近、春先というせいもあってか、日々の躁鬱の差が激しいです。
まあ、朝起きた時は殆ど憂鬱なんですが、日中は、本当、些細な事で一喜一憂してます。
特に、本屋なんかで立ち読みしてると、一冊ごとに泣いたり、笑ったり、怒ったりのくり返しです。
そんな中で、自分の眼を疑う内容の本をみつけました。
田原総一郎と、石原慎太郎の対談です。
僕は今まで、田原氏は、僕寄りの考えの人だと認識してました、今までの著作や、テレビでの発言等から判断して、あながち間違いではなかったと思います。
ところが、この対談では、見事な転向ぶり、石原氏と供に強い日本、誇りある日本の復活の必要性を切々と説いているのです。
もうがっかりです。
僕が今気分が悪いのは、「田原、お前のせいや!!」

■ 死人に口なし
2005年04月02日(土)

「死人に口なし」という言葉があります。
これは、多分、「だからこそ、生きている今を大切にして、また、他者の命を尊びなさい」という、裏の意味があると思うのです。
なのに、あのスピリチュアル・カウンセラーの江原なんとかっていうのは、なんなんですか?
あんなん、なんでもありやん。
僕ねえ、占いとかも含めて、誰もが平等に解らないべきである、生まれる前のことや、未来のことを知ってるかのような口ぶりで、人の弱味につけこんで、金儲けするやつ、大っ嫌いなんですよ。
まあ、恐山のいたこなんかは、もう一種の伝統芸能みたいな物なので渋々許しますけど。
いたこ、というと思い出すのは、
大学の4年の時、学園祭実行委員会になりまして、で僕は、職権濫用で、小山卓治を呼ぼうとしたんですが、予算が全然おろしてもらえなくて、
「わかりました、こんだけしか予算がないんやったら、普通にミュージシャンは呼べないので、恐山からいたこを4人呼びます。それで、それぞれにジョン・レノンやら、ジミヘンやらを呼んでもらって、スーパー・バンドを組みます。」
いうて、脅して、結局、小山さんを呼んだという、
ほとんど、総会屋まがいの学生時代でした。

■ つくし
2005年03月31日(木)

昨日、生まれて初めてつくしを食べました。
田舎の子なのに、意外と思うでしょう。
でもね、逆に身近すぎて、あれを食べようなんて思ったこともないんですよ。
ところが、かみさんは都会の子でして、あまりに毎日、「つくしが食べたい」とうるさいもんで、昨日四万十川の土手で、必死こいてつくしを摘んで(かみさんはお仕事中)手間かけて、はかまの部分を取って、インターネットで調理法調べて作ってやりましたよ「玉子とじ」僕としては、うまくもまずくもなく、なんのこたあない玉子とじだったのですが、かみさんには、苦味が気になったらしく、ちょことつまんで、「はい、もう満足です。次は菜の花のてんぷらが食べたい。」やって、
もう知りません。

■ スターティング・オーバー
2005年03月12日(土)

どうやら、ネットを通じて、大江さんの風邪がうつったみたいです。どうしてくれんのよー。
いやあ、昨日からふしぶしが痛い。

先日、久々にいい写真を見ました。
真ん中に満面の笑顔の前田。そして、その両側で肩を組むのは、やはり満面の笑顔の須藤元気と、宇野薫。
そして、その外にはKID、秋山もいる。
前田が表舞台に戻って来ただけでもヨシとしよう。と思ってた矢先。こんなに早く、しかも強力なメンバーを引き連れて、総合の世界に登場するなんて、なんとも夢のような話しです。

もうかれこれ15年あまり格闘技を見続けてて、見るだけでは飽き足らず、試合までした。
総合格闘技なんてジャンルが今みたいに確立されてなくて、いびつな試合ばかりだったけど、それゆえのリアリティーがあった。
近年PRIDEの台頭により、総合が市民権を得た。そして、その代償として、しょうもないエセ格闘技ファンが巷にあふれて、オジサンは正直辟易してました。でも、今更、離れることも出来ず、何か釈然としないまま見続けてきたのです。そして、やっとそのモヤモヤわけが解けました。
この2、3年格闘技会に足りなかったもの、それは前田日明その人に他ならないのです。

PRIDEよ。首洗って待っとけ!!アキラ兄さんが帰って来たぞ。
タムちゃんも、金ちゃんもそんな肩身の狭い所やめて、早くおいで。

今回、前田に「最高のプレゼント」をくれた上井氏はもとより、過去の摩擦を乗り越えて、前田に協力を惜しまなかった、谷川、石井両氏には、心より感謝申し上げます。

■ ヒヤシンス
2005年03月03日(木)

よっくんの住んでいるあたりは、他の町より少し低い場所にあった。
赤茶色に錆びたトタン作りの家ばかりが並ぶその町は、スクラップ置き場を抜けた、嫌な匂いのするどぶ川沿いに広がっていた。
「誕生日にお母ちゃんに買うてもろうた」
そう言って、よっくんが嬉しそうに見せてくれたのは、ヒヤシンスだった。厳密に言うと、それはまだ球根で、水を張った、透明のプラスチックの鉢の上に、乗せられてあった。
「ゆきと仲間ながぜ。」
よっくんの妹のゆきこが、慌ててそう付け加えた。
「何色やろう?紫やったらええに。」
そう、ゆきこが言うと、
「花は、何色でもええがちや、それより、根っこが凄いがちや、俺、図鑑で見たけんど、いっぱいに伸びて、凄いがちや。」
そう言うと、よっくんは、大事そうにそれを、納戸の中にしまい込んだ。
「土の中と同じにせないかんけん、芽が出るまでは、こうするがよ。」
それでも、よっくんは、その日何度もそれを取り出しては、嬉しそうに眺めていた。

よっくんのお母さんは、近くの縫製工場で働いていて、背が低く、浅黒い顔には皺も多く、実際の歳よりは、多分、かなり老けて見えたように思う。
よっくんや、ゆきこの前では、いつも不機嫌そうな顔をしてたけど、僕にはいつも、くしゃくしゃの顔で笑いかけてくれた。

ある日、僕らは、スクラップ置き場で、基地ごっこをして遊んでた。
暫くすると、一つ上の、たかくんと、しんくんがやって来た。
「よしき、お前んとこ昨日カレーやったろう?」
「うん、うまかったぜ。けんど、何故知っちょうが?」
「お前んとこのおばちゃん、昨日スーパーで万引きして捕まったがぞ。ほんで、全部お金払うて、許してもろうたけんど、それを、俺のおかあが見よったがよ。その時、カレーの箱が見えたがと。」
そう言うと、二人はニヤニヤしながら、どこかへ行った。
その後も、僕らはそれまで通り基地ごっこを続けた。よっくんも、何も無かったかのように、大声ではしゃいでいた。

「もうじきルパンが始まるけん、ぼくんち行こうよ。」
そう促されて、よっくんの家へ行った。
「もうだいぶん、根っこが出ちょうぜ。」
そう言うと、よっくんは、納戸からヒヤシンスを出して、僕の顔の高さに差し出した。
そして、そのまま、ヒヤシンスを仕舞わずに、テレビを着けた。
テーブルの上にヒヤシンスを置いて、その向こうにテレビがあった。
よくわからないけど、よっくんは、あの時、画面じゃなく、ずっとヒヤシンスを見ていたんじゃないかと思う。ヒヤシンスの鉢を通して見える、歪んだ画面を・・・。

「いや、ちゃんと暗いとこに置いちょかんと、花が咲かんやいか。」
帰ってくるなり、ゆきこはそう言って、ヒヤシンスをテーブルから持ち上げた。
その瞬間、よっくんはゆきこに飛びかかった。
そして、鉢は床に落ちて、少し根の伸びかけた球根は、転がり出た。
泣きながら、それを拾おうとするゆきこを押し退けると、よっくんは、球根を踏み付けた。
何度も何度も、言葉にならないうめき声を漏らしながら、何度も何度も・・・。
途中からはもう、泣いているのか、笑っているのかわからなかった。
そして、ひとしきり踏み付けた後、よっくんは、不自然なほど冷静に呟いた。
「花は、・・・、何色でもええがちや・・・。」

帰り道で、おばさんと会った。いつものように、くしゃくしゃな顔で笑ってくれた。

■ アンビリーバブル
2005年02月17日(木)

最近二人続けて、信じられないような人に出会った。
一人は50代後半の女性で、もう一人は35歳の男性だ。なんと二人とも、かつて日本が、朝鮮半島の人達に行った酷い行い(強制連行等)を、知らないというのだ。従軍慰安婦という言葉はかろうじて知ってはいるが、その詳しい内容や、正しい内容はほとんど知らない。ましてや、強制連行については、全く知識がない、ゼロなのである。だから、あろうことか、現在、日本にいる在日の人達は、みんな喜んで幸せを求めて、自分達の意志で日本にやって来たと思っている。だから、勝手に外からやって来て、自分達の利益を奪う彼等が、少々の差別を受けるのは、ある意味当然だと思っている。
そうだよな、知らないんだよな、だってそうじゃなきゃ、あんな風に一方的に北朝鮮の事を批判なんか出来ないはずだもの。だから、ある意味、少し安心した。
かつて、日本はアジアに対して、植民地政策を取り、朝鮮半島や中国の人達を、まるで奴隷のように扱い、そして、何千、何万の人達を、無理矢理に日本に連れて来た。そして、彼等は安い労働力や、戦地における最前線へとかり出された。そして、その後も長きに渡って彼等への差別は続いている。
それって、拉致事件なんかのレベルじゃないもんね。
確かに、国家間では、保障やなんやで、もう終わっていることなのかも知れないけど、それこそ今問題の、遺骨どころか、いつどこで、どんなふうに死んだのか(殺された?)さえ解って無いケースがほとんどだと思う。堂々とやった強制連行よりも、こそこそやった拉致事件の方が罪が重いというのもどうだろう?
まあ、とにかく彼等は、知らなかったのだ。
無知は決して罪ではないと思う。でも、無関心は最大の罪だ。
だから、僕は彼等に教えてあげた。
ところがなんと「嘘だ、そんな話し聞いた事が無い、信じない」そうである。トホホ。
僕、前々から思ってたんやけど、自分の身近なものに対する根拠のない思い入れ(国、地元、家族等)ってなんなんやろう?
二人のうちの、35歳男性の方は、サッカーにはあまり詳しくなさそうで、この間の試合にも、まだ、ゴンや、カズが出てたと思っていて、ヒデが出てなかったことは疎か、福西や、小笠原の名前すら知らない。なのに、死ぬ程日本を応援したらしい。
まったくもって、僕にはわからない。

で、気になったのです。みなさん強制連行のこととか知ってました?もし、知らなかったのなら、BBSの方で意見を聞かせて貰えないでしょうか?
さっきも言ったように、無知は罪じゃ無いのです。ちゃんと教えて無い国が悪いのですから。でも、知ったからには少し考えてみてはくれませんか?

■ M&M
2005年02月12日(土)

昨日、吉野家について書いたついでに、今日も貧乏話を一つ。
貧乏と一口に言いますが、みなさん、どの程度の貧乏を経験した事あります。
多分、学制時代からの僕の友人達が、僕の学制時代について語るなら、まず、口を揃えて貧乏について語る事でしょう。
パンの耳をもらいにパン屋に行くなんて当たり前。
右京区中の自動販売機の返却口に指をつっこんで、一晩で170円集め、その日の飢えをしのいだこともありました。
そんな頃の僕の強い味方が「マルタイ棒ラーメン」と「マルシン・ハンバーグ」のM&Mだったのです。
「マルタイ棒ラーメン」というのは、インスタント・ラーメンなのですが、普通のインスタント麺とは、形状が少し違っていて、分りやすく言うと、そうめんのような、棒状の麺を束ねた形をしているのです。だから、小分けに作ることによって、食料をもたせることができる。もちろん、味においても別格で、他の追随を寄せつけぬものだったと確信しております。
「マルシン・ハンバーグ」は、まあただのハンバーグなのですが、とにかく安い。しかもレトルトのあっためるタイプではないので、ソース等を工夫することによって、いろんなバリエーションや、独特の高級感が味わえるわけです。しくみは、あらかじめ加熱調理済みのハンバーグの表面にラードを塗っている。というもので、焼く時に油がいらないというスグレモノ。
僕は、懐が寂しくなると、「シミズ・ママ・センター」でこれらを買い込み、飢えをしのいだわけです。
で、ある日の話し。その頃、僕のアパートは、共同の台所で、ガスコンロは、10円だか、いくらだかを入れて、5分程使えるタイプの物だったのですが、その10円すら無くなってて、マルシン・ハンバーグを調理することができない。さすがに生で食べるのは気が引けて、考えた末に出た結論が、コタツのグリル部分(?)に押しつけて加熱する、という力技!!!
結局、微妙に溶けたラードがなんとも素敵で、忘れられないディナーとなりました。いやあ、しかし、まずかったー。

■ 吉野家
2005年02月11日(金)

吉野家で牛丼が一日復活ですって。
うーん、確かに羨ましい限りではありますが・・・。
ちょっと違うんですよね。
なんか、プレミアっぽくなっちゃって、
鯨の肉みたいな感じ?
でも、僕にとって吉野家は飽くまでも日常のもの、であって、決して晴れのものではないんだなあ・・・。
懐が寒くなって、でも次の入金までまだ少しある。
そんな、心細い時、吉野家って本当に優しかったなあ。
敷き居なんて無いに等しいほど低くってさ、
紅ショウガも、七味もかけ放題。

まあ、どっちにしろ、
今の僕には遠すぎて、吉野家は行けないけど、
少なくとも、いついつ、の何時に行かないと食べられない吉野家なんて、やっぱりちょっと違うのです。

■ 軟式
2005年02月07日(月)

12、3才の頃、20歳位の人というのは、ひどく大人で、きっと、もう、うろたえたり、泣きわめいたりすることなど、絶対にないんだろうな、思ったものです。
でも、実際20歳をとうに超え、あろうことか、ダブルスコアの40歳を超えて、相変わらず、うろたえまくり、時に、泣きわめいたりしながら生きている自分を見るにつけ、人間て厄介だなあ、とつくづく思うのです。
さすがに、冷静な時には、正しい判断や、行動がとれるのですが、ほんの僅かなバランスが崩れた時なんか、それはもう、不様な姿を晒してしまうのです。
でも、多かれ、少なかれ、みんなそんなもんでしょ?
青信号でエンストした時みたいに、なんか凄く赤面してしまうことってあるけど、多分みんなそうなんだって。
「どうせ僕ら、へなちょこさ。きっとそうさ、軟式さ。
グランド5周、へばるほど、意気地なしでごめんね。」
気にすんなって、ぼちぼち行こうや。

■ ギタリスト
2005年02月03日(木)

大江さんが日記で、日本の好きなヴォーカリストについて書いてたので、それを受けて私は、日本の好きなギタリストについて書きます。
最初に僕が、「このギターかっこええなあ」と思ったのは、今剛です。高一の頃だったと思います。曲は、松田聖子「チェリー・ブラッサム」とにかく、たいして、ギタリストには詳しくなかった頃でも、彼の弾いているギターは、すぐ彼だと分かりました。それから、鈴木茂。こちらは、五十嵐浩晃の曲で出会って、とにかく、なんかお洒落なギターやなあ、と思いました。その頃でいうと、あとは、なんと言っても、町支寛ニ。なんと言っても、浜省マニアですから。その後、武沢さんとか、やっぱり、ヴォーカルありき。のギタリストが好きです。最近では、山弦の佐橋さん、小倉さんなんかいいですね。大御所でいえば、吉川忠英。ギタリストかどうかといえば、少し疑問ですけど、山口岩男、高橋研さんなんかも大好きです。要は、その人のギターで歌いたいか、どうか、ってこと。即ち、歌心があるか、どうか。という一点につきると思います。
もちろん、大江さんの素晴らしいのはそこ。決して凄テクではないのですが、うた歌いのツボというのが、ちゃんと解ってる人なのです。で、ついつい気持ちよくなって、歌詞など忘れてしまうのです。

■ さて、ライブです。
2005年01月25日(火)

地元でのライブまで、あと4日となりました。実は、結構ブルーだったのです。ちょっとしたライブ恐怖症とでも申しましょうか。だいぶ長く離れていたせいだと思うのですが、人前で、ましてやほとんど僕の歌を知らない人達の前で歌うということが、結構気が重く感じられたのです。特に、オリジナル曲をやるのがどうも気が引ける感じがして、やる曲もカバーしか思い浮かばない次第でした。でも、まあ、そうもいかんと思い直し、この二、三日自分の曲を練習してみると、これが妙に良くて、なんか新しい解釈を見つけたりして、非常に新鮮な感じ等もして、やっとテンションが上がってきました。逆にやりたい曲が多すぎて、どれを削ろうかと、悩むにいたるほどです。
まあ、あとはお客さんが入ってくれるかどうかです。こればっかりはどうもならん。今となっては、もうCDの売り上げ云々よりも、まず、なるべく多くの人に来てもらいたいと願うのみです。
とにかくがんばるので、皆さんも、遠くから応援たのみますね。

■ 虹の始まってる場所
2005年01月20日(木)

今日、虹の始まりの場所を見た。
ゴミ収集の仕事の終わり頃、処理場へ向かう途中
トンネルを抜けて、視界が広がった瞬間、僕はそれを見つけた。
疲れ果てた身体と、むせるような悪臭の中、僕は不意をつかれた。
それはごく近くの、低い山の麓から唐突に始まり、
そして、小さな町をまたぎ、向こう側の同じような山の、同じような麓へ続いていた。
隣で運転する職員の、上司の愚痴に相槌を打ちながら、僕はそれを見失わないように目を凝らした。
これから、ここを通る度、「あそこが虹の始まってた場所だ」きっと、そう思うだろう。
おかげで、嫌な時間を3分ほど潰せそうだ。

■ ゴミ収集
2005年01月15日(土)

市役所の夜勤だけでは、経済的に苦しいので、ゴミ収集の仕事もする事になった。実は去年も何度か手伝いで行ったのだが、今年から、週二回、午前中にレギュラーでする事になった。中村の隣の三原村と言う地域の担当で、パッカー車というお馴染みの車で収集する。昨日のコースには魚屋があり、そのゴミは強烈だった。鼻の奥に、まだ臭いが残っている。田舎は労働賃金が安く、時給にして500円、一日で2500円の仕事だ。夜勤の方も、15時間拘束で、4700円。今、何時代だ?浜田裕介、大卒、40才。身からさびが出まくっちゃってます

■ 新年初
2005年01月12日(水)

朝、BBSに書き込みをして、すぐ日記も書こうと思ってたのですが、その後、強烈な鬱状態に陥りまして、結局、諦めてました。で、気分転換にスーパー銭湯に行ったところ、幾分ましになったので、日付けは変わりましたが書いてます。 かみさんがインターネットで調べてたら、洛西に「びっくりドンキー」出来てるみたいですね。しかも、僕らが住んでた所から、徒歩で二、三分の所に。んー喰いてー。はよCD売らな。ライブしたいのは勿論ですが、食べたいものもいっぱいあります。そんな何日もおれるわけじゃないので、これもまた辛い。梅田の「インディアン・カレー」ははずせんわな。もち「びくド」も、大江さんお薦めの山科のオムライス、スケロクのハヤシライスも捨てがたい。オムライスなら、衣笠「おむらはうす」も美味。「とん八」のカツ丼。百万遍「ジャンボ18番」のスジモダン。あげても、あげてもきりがない。西院「薮菴」のカツカレーうどん。ラーメンなら「天天有」か「芳眠」か、はたまた「ほそかわ」か。くーっ。もうたまらん。鬱なんか、どっか飛んでってもうた。今年もよろしく。

■ ハロー・マイ・オールド・フレンド
2004年12月31日(金)

昨夜9時過ぎ頃、いきなり携帯がなった。着信名を見ると、古い友人の名前だった。彼は中学、高校時代の同級生で、特に高校時代は仲が良く、卒業した後も唯一交流のあった、地元の友人だった。その後僕が大学を卒業した後は、自然と疎遠になり15年程は交流はなかった。3年前に僕が戻ってきたときに一度3,4人で飲みに行った(僕は、食べに)きり、時々町で出くわして挨拶する程度で、深く付き合うこともなかった。
そんな彼から、いきない電話がかかってきた。理由はとてもプライヴェートなことなので、ここでは割愛させていただく。とにかく、40年も生きていると、それぞれに40年分の人生があって、誰一人特別ではなく、それぞれに重い荷物を背負って生きている。彼は昨日、本当に打ちひしがれていて、本当に孤独だった。そして、そんなとき浮かんだのが、僕の名前らしい。
丁度、高校を卒業した夜、彼はもう一人の友人とぼくの家に泊まり、とんでもなく甘ったるい「赤玉ワイン」を飲みながら、朝まで騒いだ。
そして、20数年を経た昨夜、彼は焼酎を、僕はなっちゃンを飲みながら、その日いないもう一人の友人の悪口を交えながら夜更けまでくだをまいた。おりしも、テレビではこの20数年を振り返る企画の「ザ・ベスト・テン」が流れてた。
生まれてきたことが幸せなのか、不幸なのか。生きていくことが、楽しいことなのか、苦痛なことなのか。正直、僕にはまだわからない。ただ、これまで何度も「もう終わりだ」と絶望したことも、いつしか気が付けば通り過ぎていた。時間には勝てない。
「なあフレンド、笑わずに聞いてくれ、悪くない考えだと思わないかい?夜はみんな浮かれてる。俺達2人くらい見逃してくれてもいいはずだ}
気が向いたらまた電話してくれ。

■ 自律神経
2004年12月27日(月)

実は、自律神経を病んでまして、最初に自覚したのは、16歳の時なのですが、まあ、もともと感情の起伏の激しい人間だったので、それ以前から症状はあったのかも知れません。ただ、そんなに重症ではないのか、常にその症状があるというわけではないのです。特に、京都にいた頃は、生活のテンポが速かったせいか、比較的それを意識することなくやってられたのです。ところが、こっちに帰ってきて1年半位してから、あきらかにそいつが出てきてるわけです。とにかく、朝起きたら、やたらと悲しかったり、どうしようもない閉息感を感じたりするわけです。かと思えば、本当に些細な事、例えば、雑誌に中田を誉めている記事が載ってた、とかで、とんでもなくハッピーになったりするわけです。しかしこの病気厄介なことに、歌を作る上では多分プラスに働いていると思うのです。
だから、症状が強く出た、去年から今年にかけて、「結露」と「トラヴィス」という2枚のアルバムを続けて作るなどという離れ業ができたのだと思います。
えー、実は今日の話にオチはありません。すみません。書けばなんか楽になるかな、と思って書いちゃいました。
あ、でもね、BBSに誰かが書き込んでくれてたり、それになんか受け答えしたりしてる時は、結構ハッピーになれたりするのです。みなさん、よろしかったら、暇つぶしに、なんか書いてって下さい。

■ 経済制裁
2004年12月14日(火)

制裁だとか、圧力だとか、随分上からものを言ってるなあ、と思うわけです。まあ、確かに日本の方が、思想的にも、経済的にも成熟してることに反論の余地はないですけど。
あの、僕思うんですけど、北朝鮮とか、日本とかいうのは、地図の上の特定の地域の名称であって、決してそこに住んでる総ての人が同じ一人の人格なわけじゃないですよね。拉致事件にしても、北朝鮮人すべてが、日本人すべてにしたことではなくて、北朝鮮の一部の人が、日本人の一部に対して行ったことなわけです。だから、経済制裁と言うのは、言ってみレば「あそこの親父は悪人だから、あの家族には食い物を売らんようにして、家族ごと懲らしめてやろう」ということでしょう。この国の多くの人達はこの公開いじめを望んでるんでしょう?うわっこわ!!
確かに、間違った教育を受けて育ってるのだから、あの国のほとんどの人達は、世界的な常識からいうとかなりおかしいことは間違いないと思います。でも、それしか教えられてない人達の、その思想や、言動を責められるのでしょうか?僕らが子供の頃に親から教えられたことって全部正しかったでしょうか?其れ故に子供の頃裁かれたでしょうか?給食ぬきにされたでしょうか?末端の過ちを犯した人は分かりやすいし、其れ故にその人達を罰するのは簡単なことだと思います。でも、分かりやすいやりかたや、単純な方法の最も極端な形が戦争でしょう?経済制裁とか、圧力っていうのはかなりレッド・ゾーンのような気がするのですが、いかがなものでしょう?

■ 実感
2004年12月03日(金)

今、TSUTAYA四万十店に行ってきました。「トラヴィス」並んでました。矢野旬子とかのそばに、結構、堂々と並んでました。まあ、2ndアルバムの時は、民生くんや、浜省さんの横に並べてもらってたので、それから考えると随分低い所に来たなあ、という気もしますが、まあ、その分妙に居心地がいいなあ、と思うのは、貧乏性のせいでしょうか?
それでも、やっぱり店頭に並んだのを見ると、やっとこの場所に帰ってきたなあ、という実感が湧きますねえ。「Days in The Sun」が出てからまる7年、中村に逃げ帰ってからまる3年、まさか、また、CD屋さんの店頭に、僕の新作が並ぶ日が来るとは思いもしませんでした。
あの頃は、自分のことだけで精一杯で、ただがむしゃらに突っ走ってて、いつのまにか、ボタンをかけ違えたり、靴の底に小石が入ってるのをそのままにしてたようにおもいます。そう言う意味では、この3年間というのは、非常に意味があったなあ、とも思います。
ざせつ会のメンバーである、西沢くんや、山本くん、パソコンをくれた伊与田くん達との新しい出合い。そして、古い友だちとの出会い直し。そんな、小さな偶然の積み重ねが必然になり、そして運命に手が届くのだと思います。(誰かの歌にありましたっけ)
自分で言うのもあれですけど、「トラヴィス」は、何度聴いてもいいアルバムだなあと思います。「置くかどうかは、聴いてから決める」と言ってたTSUTAYAの店長さんも、「失礼しました、なんでメジャーから出さないんですか?」と言ってくれました。和佐田さんは「いま、メジャーから出てるのはカスばっかりや」と言ってくれました。僕と音楽との新しい関係の形が生れればいいなと思います。僕は、あまりに利益をあげるということに無頓着すぎて、それゆえの経済的困難が、結局音楽をやめる直接の原因になりました。そこから、いろんなことを学びました。それでも、やはり音楽なんて、莫大な金をかけるものじゃないし、莫大な金を稼ぐべきものでもないと、今でも思ってます。ただ、せめて、音楽にかかるお金は音楽で稼げたらいいなと思ってます。必要な機材が買えて、CDが作れて、ライブができて、そんな感じのことが、音楽でまかなえたらなあ、と思ってます。その第一段が「トラヴィス」です。これからも僕の歌が、ずっと繋がっていてくれたらなあ、と心から思います。こんなにたくさん音楽があふれてる中で、僕の歌を選んでくれて、本当にありがとうございます。もうひとがんばりやってみます。

■ あいつと俺に言葉はいらねえ
2004年11月20日(土)

2001年、10月末。京都での最後の夜を僕は大江さんの家ですごした。部屋は前日までで引き払っているため、その日人生初の宿無し状態だったからだ。
その日、大江さんは、焼肉を奢ってくれた。桂高校前の、「カルビの海賊」だったと思う。音楽をやめると宣言して、とっとと田舎に逃げ帰る俺を、大江さんは決して止めはしなかった。言葉が無力なことを、彼は痛い程知っていたからだ。でも、彼は、僕が残していった歌詞カードや譜面を、ちゃんと保存してくれていた。そして、このサイトもずっと守り続けてくれていた。
思えば、彼と最初に出会ってから20年以上になる。大学の同級生で、同じサークルだった。でも、途中サークル内のごたごたで、10年近く疎遠になっていた。94年の12月、都雅都雅でのライブで、急に、うちのギタリストがキャンセルになった時、僕と橋本(HYミュージック社長)の中には同時に彼の名前が浮かんだ。そして、そのあまりに身勝手な我々の依頼を、彼は快く引き受けてくれた。そして、それ以降、一度も正式に依頼する事も無かったのに、彼は常に僕の隣でギターを弾いてくれた。野暮な言葉などいらないのだ。ハード・ボイルドなのだ。
「トラヴィス」でも、わざわざ中村まで来てくれて、3曲ギターを弾いてくれた。「彼女の消息」では、繊細で哀愁に満ちた演奏を、「Losin’」ではいかにも335ならではのバッキングを、「Voices-新しき革命の唄-」では、8小節という短いフレーズながら、いかにも大江さんらしいエモーショナルなソロを、勿論ノー・ギャラで協力してくれた。
例えば、スタジオで新曲をやるときも、彼には言葉はいらない、ていうか、ないほうがだんぜんいい。コード譜だけ渡して、僕が弾き語りで歌う。2コーラスめには、もう彼はバッチグーなバッキングを奏でる。ところが、何回もやるとこれがもう一つなのだ。「大江さん、最初のが一番よかったね。」これが決まり文句だ。
今回、アルバムの最後をかざる「日々」は大江さんに贈った曲だ、あの曲を作った時と、今とでは、大江さんをとりまく状況は少し変わってしまったが、そんなことを超越して彼を祝福している唄になんら変わりはない。彼が彼であることへの、僕なりの感謝のしるしだ。
大江さん、がんばって「トラヴィス」売って、またライブしようぜ!!そして打ち上げは、「びっくりドンキー」でパイン・バーグ・ディッシュだ!!!

■ 音楽は、いつから言葉を失ったんだろう?
2004年11月04日(木)

初めて僕に、歌を作りたいと思わせたのは、浜田省吾だった。16歳の時、FMから流れてきた、彼の歌の主人公達は、それまで知っていた、他の歌の主人公達と違って、等身大の僕の姿があった。確かにそこには、言葉があった。

「これ、凄いぞ!」上ずった声で、友人が聴かせてくれたのは、ブルース・スプリングスティーンの「リバー」だった。歌詞カードもなく、言葉の意味なんて、半分も解らなかったけど、僕の体温は確実に1℃上がった。そして、その微熱は、今も尚続いている。確かにそこには、言葉があった。

18歳の時、真夜中に佐野元春を聴いていて、いたたまれなくなって、一緒に叫んだことがある。「すべてのギヴ&テイクのゲームにさよならするのさ!」
確かにそこには、言葉があった。

音楽がだいたい判ったつもりになっていた頃、小山卓治は、僕の自信を、粉々に打ち砕いた。音楽における言葉の力を、改めて思い知らされた。
確かにそこには、言葉があった。

ジョン・レノン、トム・ウェイツ、友部正人、彼等の言葉は血液のように、僕の中に流れ、そして、何時しか、それを紡ぎながら、僕は僕の言葉を手に入れた。
だけど、辿り着いた筈の、あの日と同じ場所は、もう水の涸れた川底だった。

音楽は、いつから言葉を失ったんだろう。

■ Voices-新しき革命の唄-
2004年11月03日(水)

HeyMr.B!教えて、あなたが導くその列の先に、
差別や、暴力が、はびこることない、場所はあるの?
あなたは復讐の人だ、いつでも恐怖に取り憑かれてる
僕は気付いてる、あなたが世界の真ん中なんかじゃない。

HeyMr.K!僕らは、充分に豊かで、充分に便利だ
競えばきりがない、勝利や進歩を、あまり美化しないで。
雨なら打たれてもいい、誰にも等しく傘が渡るまで
そして肩を抱き、僕は歌いたい、国境のない唄を。

何故、何時だってその手を拳に使いたがるの?
その掌を無防備に差し出そうとしないの?
何時か幼い日、僕らは誰もが、与えられた、求められず。
今、この河の向こう岸、たたずむ友に告ぐ
もし、今僕が倒れたら、この唄拾い上げて
届けて欲しい、N・Yの空に、バクダットの空に
そして、平壌の空に。

HeyMr.K!平和は、守るものじゃない、まして、奪うものじゃない。
無血を恥じなくていい、聖者も勇者も、僕は望まない
鏡を覗いてごらんよ、誰もがほら、震えているだろう
その不安は決して、捨てちゃいけないんだよ
大切な力なんだ。

HeyMr.B!全てのプールの壁を、壊してごらんよ
僕らは胸まで、貧困の水にひたるはずだ
彼等はその水の底で、今日まで絶望を背負ってきた
僕らもそろそろ、降りていくべきだ、同じ罪人として

ほら、今君の足下の小さなその花も
いつか砂浜で息絶えた哀れなあの鯨も
同じ権利を持つべきなんだよ、僕らだけの世界じゃない。
今、この河の向こう岸たたずむ友に告ぐ
もし、今僕が倒れても、この想い残るなら
届けて欲しい、ルワンダの空に、ボスニアの空に
そして、パレスチナの空に。

何故、何時だってその手を、拳に使いたがるの?
その掌を、無防備に差し出そうとしないの?
いつか幼い日、僕らは誰もが、与えられた、求められず。
今、この河の向こう岸たたずむ友に告ぐ
もし、今僕が倒れたらこの唄拾い上げて
届けて欲しい、チェルノブィリの空に、広島の空に、
そして、オセチアの空に。

HeyMr.Me!お前も、ただの偽善者だ、分かってるな?
もう一度歌うなら、全てを背負ってけ、もう寝返るな

■ 神様
2004年10月25日(月)

僕は、基本的には、神様の存在を信じている。ただし、ここでいう神は、やおよろずの神等という、いかにも人間が、自分の都合で作り上げたようなデタラメの神ではなく、聖書でいうところの、父なる神、いわゆる、創造主のことである。聖書の中には、神の持ついくつかの特質が書かれていて、その一つに公正さがある。神は、人々に対して、常に公正であり、誰かに対して、有利に働いたり、ばちをあてたりはしないということである。だから、スポーツの試合等で、神に祈ったことで勝てたり、宝くじが当ったりということはありえないわけです。神はそれぞれにとって、必要なものだけを、等しく与えてくれるのです。でも、僕等は非常にいいかげんな人間なので、日々その存在を忘れていることが多いのです。そして、何かの拍子にふと思い知るのです。「あ、神様はいたんだ」と。
僕はラいヴ・ハウスに出だしたのは、21歳のときからと、比較的遅かったのですが、ライブを始めて3ヶ月程でかなり評判になり、半年もすると、かなりの数の業界関係者が観に来るようになってました。そして、その中のかなり有名な、僕も憧れていたプロデューサーのかたから、声がかかりある超有名シンガーの手伝いをすることになりました。憧れのプロデューサーからは天才とおだてられ、超有名シンガーからは「頼みます」と頭を下げられ、もう完全に舞い上がり、見事に天狗になってました。本当に、地球は自分の為に回ってるんじゃないかと思ったし、神様はなんでこんなに僕にひいきするのか、とさえ思いました。欲しいと思ったものは、だいたい手に入ったし、実際自分に必要のないものでも、人がもっているものは、なんでも欲しくなり、また多くのものを奪いました。でも、そんな日々は長くは続きませんでした。あの頃、僕の手の中にあるように見えてたものは、結局全部幻で、気がつくとほとんどのものが消えてしまってました。最初の神との契約を破った、イスラエルの民のように、僕は神を裏切っていたのです。無意識のうちに、でも、神は全てを奪ったわけではなかったのです。本当に僕に必要なもの、それは多分、今のかみさんと、音楽、この二つだけは残してくれたのです。20年前僕には何もなくて、ただ向こう見ずな情熱だけがあって、その勢いにまかせて作った歌達に、神様がフッと息をふきかけてくれて、僕は歌う力を与えてもらった。だけど、僕はその力を正しく使うことができなかった。そして、本当にいろんなことがあって、今回「トラヴィス」を出せることになった。そうすると、そこに色んな奇跡が起こった。それぞれにとって必要なものが、必要なだけ残ったような気がする。昨日個人的な最後の糸がほどけた。僕は改めて思った「あ、神様はいたんだ」と。

■ フェイバリット2
2004年10月21日(木)

いやー、本当久しぶりっス。申し訳ない。
で、今回は、斉藤由貴。アルバムのベスト1となると、松田聖子以上に迷うのが彼女です。そんだけ良い作品が揃っているということでしょう。何より、他のアイドルとの、決定的な違いは、彼女の優れた作詩能力にあると思います。確かに他のアイドルにも本人作詩の曲を、アルバムに収録している人は沢山います。果たして、どこまでが本当かも分かりませんが。ただ、そんなことさておいて、彼女の場合レベルが違うのです。僕、日本人で、「この人、自分より上手いかもしれん」と思える人は、そうはおらんのですが、彼女は、まぎれも無くその一人です。
で、検討した結果、1位は「チャイム」でいかがでしょう?3枚目ですね。まあ、とにかく、名曲揃いです。「予感」「いちご水のグラス」「アクリル色の微笑み(?)」最高!!2位以下は、もう順位はつけられないですね。「PANT」「LOVE」「風夢」「ガラスの鼓動」あたり、甲乙つけられないアルバムが並びます。歌唱力において、ずばぬけたものを、持っているわけではなjのですが、彼女の声が持つ圧倒的な表現力には驚かされます。得に、現時点で、最後のアルバムになる、「LOVE」でのそれは、全く、「凄まじい」の一言です。あと、ファースト・アルバムの「AXIA」は、少し曲による出来、不出来が激しいですが、その透明感には、特筆すべきものがあり、得にタイトル曲のそれは抜群です。

■ フェイバリット1
2004年09月23日(木)

今回から、不定期で僕のお気に入りのものを紹介していこうと思います。音楽から本、映画、果ては洋食屋まで、徒然なるままに、ひぐらしすずりに向かいて書きつくります。暇つぶしにでも読んでください。
で、さすがに、第一回は音楽だと思うのですが、普通でも面白くないので、アイドルのアルバムあたりからいきましょうか。アイドルのアルバムといっても、これがなかなか、あなどれなくて、特に80年代以降のものにはかなり優れたものがあります。その中でも松田聖子と斉藤由貴は別格で、他とまとめては、とても書けないので分けて書きます。今回はまず松田聖子から。とは言っても僕の中の松田聖子は、85年位までで終わっているので、それ以降の作品は含みません。て言うか、その価値も無いと思います。
まず、彼女のアルバムのベスト1は何かということになりますが、かなり迷って、結果「風立ちぬ」ということでいかがでしょう?「ロング・バケーション」直後の乗りに乗っている時期の大瀧さんをメインに、杉さん、財津さん等が、素晴らしい仕事をしています。1曲目の「冬の妖精」から名曲ぞろいで、駄作は1曲も無いといった感じです。なかでも、大瀧さんの「一千一秒物語」は、秀逸です。で、意外に気付かれてないことですが、松田聖子は、「白いパラソル」あたりから声を壊して、このアルバムでは、かなりハスキーです。きっと、デビューすぐヒットにめぐまれ、芸能界もチョロィもんと、気を緩めて、かなり私生活も乱れてのことと思います。ただし、それが完全に良い方に出ています。こういうパターンは大概、中森明菜のように悪いほうに出るものですが、まれにこの松田聖子や後期の浅香唯のようにみょうな化学反応を起こしてとんでもなく良くなることがあるのですが、その最たるかたちだと思います。音域や音程だけでは、歌は語れないのです。とはいえ、松田聖子に関しては、声はハスキーになっても、音域、音程とも申し分なく、当時NHKの歌番組などに出ると、そこら辺の演歌歌手なんか、完全にかすんでました。普通、それくらいに才能がある人は、僕は全面的に好きになるのですが、この人だけは、不思議と好きになれません。
で、この「風立ちぬ」に続くのが、「パイナップル」かなと、このアルバムから、来生さんと、真二さんとが参加したと記憶しているのですが、どちらも素晴らしい仕事ぶりです。あと続くのが、「カナリー」「キャンディー」あたりですかね。「シルエット」を高く評価する人もいますが、僕的には、「ノース・ウィンド」のほうが上かな、と思います。「スコール」は良い曲と駄作との差が大きく、アイドルのファースト・アルバムにありがちなパターンになってます。確か由貴ちゃんの「アクシア」もそんな感じと思いますが、由貴ちゃんのほうは後日ということで。とにかく、アイドルのアルバムの価値を高めたのは、松田聖子と言って間違いないと思います。重ね重ね好きになれんけど。

■ メッセージ・ソング
2004年09月15日(水)

ある意味、ラブ・ソングっていうのは、作り手にとっては、無限で、便利な題材なのです。10の恋愛があれば10のドラマがあるし、一つの恋愛でも日々移り行く表情があり、極端にいえば、一瞬ごとにいくつもの歌が作れるわけです。これが、メッセージ・ソング、というか、社会的なテーマの曲となると、なかなかそうはいかないのです。政治的、もしくは、思想的な転向でもないかぎり、自分の思っていることというのは、ずっと一緒なわけです。「4th Of jun」を作った時も、「さよなら楽園」を作った時も、「黒いかたまり」の時も、「ガソリン・アレイ」の時も、ずっと僕の考えは一緒で、僕の歌が、むかっているベクトルは同じ方向を向いているわけです。そうであるのに、そのときどきでタイトルを変え、メロを変え、アレンジを変えて、さも新曲のように発表するのは、欺瞞ではないかと、あるとき、そう思ったのです。そして、僕は、その総決算として「長い手紙」という歌を作り、もうこれで全部言い切った、と決めたのです。それでも、その後も、抑えても、抑えても、湧き上がってくる、そういう歌への欲求がやむことはありませんでした。それでも、その感情から目をそむけながら新しい歌を作ってきました。そんなある日、ある言葉が、僕のわだかまりを晴らしてくれました。
今年、イラクで人質事件が連日報道されてた時、ある新聞記事が目に止まりました。それは、人質の一人である、今井紀明さんに関する記事でした。彼がイラク行きについて、あるジャーナリストに相談した時、そのジャーナリストが、かのガンジーの言葉を引用して、こう言ったのです。「あなたが、いま、やろうとしている事は、この世界に於いて、まったく、無意味なことである。しかし、あなたは、それをしなければならない。何故ならば、それは、あなたがそれによって世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないためである。」目からうろこが落ちました。僕が僕であり続けるために、そしてこの場所に立ち続けるために、僕は、代わり映えのしない、決して売れる気配のない、そんな歌を作り、そして、歌い続けなければならないと思ったのです。それは、ある意味、定点観測のようなもので、決して流される事無く、スケッチし続けようとおもったのです。そして生まれたのが「Voices-新しき革命の歌-」であり、今度のアルバムの歌たちなのです。今度のアルバムは、間違いなく浜田裕介の最高傑作になると思います。ただし、今度の歌たちは、聴き手にもそれなりのエネルギーを必要とすると思います。それを承知で是非聴いて欲しいと思います。
浜田裕介ニュー・アルバム「トラヴィス」近日発売。

■ 台風一過
2004年08月31日(火)

まったく、今年は台風の当たり年です。元々、高知県は台風銀座などと呼ばれていて、台風の多い土地ではあるのですが、それでも、ここ数年はコースをはずれることが多く、来ても、小さいのが年に一つ二つ位で、今年みたいに、デカイのが次から次というのは、あまり記憶がありません。台風というと、思い出す話が一つあって、今日は、そのことについて書きます。
僕は子供の頃から野球が好きで、プロ野球選手になることを疑いませんでした。中学時代は、ソフト・ボール部でしたが、地元ではかなり評価されてました。高校進学の時も、有力校へ行くことも考えたのですが、山沖さんの時代の、甲子園での活躍が忘れられず、県内では一、二の進学校である、中村高校にがんばって入りました。で、さっそく野球部に入ったのですが、四月に早くも怪我をしてしまい、これが意外に重傷で、結局九月までかかってしまいました。そして、夏休み明けから練習に出たのですが、あの地獄の夏休みを乗り越えた人たちと、怪我とはいえ、クーラーの効いた部屋で松田聖子にうつつをぬかしてた馬鹿との、力の差は歴然で、一週間足らずで完全に落ちこぼれてしまいました。結果軽いノイローゼにかかり、ついには精神科に診てもらうことになりました。結局、自律神経失調症と診断されました。先生が言うには、治すのは簡単なことで、単に、クラブをやめなさいとのことでした。とは言っても、本当に物心ついた頃からの夢で、他の未来を考えたことも無かったので、相当悩みました。そんなとき台風が来て、臨時休校になったのです。その日一日松田聖子を聴きながら泣きました。そして、深夜、退部届けを書いたのです。次の日、それはもう、目がくらむほどの良い天気だったのを覚えてます。ちぎれては、また、くっつき様々に形をかえていく雲をみながら、妙に清清しい気持ちで学校に行ったのを今でもよく覚えてます。そして、その年の秋、浜省さんの「ホーム・バウンド」を聴いたのが、本格的に音楽にのめりこむきっかけになったのです。

■ 月と猫
2004年08月12日(木)

あまり執着心とかないほうなのですが、この世に好きなものが二つあります。ひとつは猫、いま、うちには、十年来の飼い猫「にゃちゃ」と不特定の野良(推定七、八匹)がいます。なるべく目を合わせないように心掛けているのですが、なかなか無理な話で、餌代は増える一方です。あと、月というか、月の光もとても好きです。元はと言えば、中学の頃の僕の部屋の窓が、うすいすりガラスで、ベットの横の窓から差し込む月明かりを浴びながら、眠れない夜をすごすのがとても好きだったのです。なんか神聖な感じがする、というか、清められる感じがするのです。元来何故か、得体の知れない罪悪感を持っている僕は、そのたび許されるような気分になります。今でこそ大変まともになられた私ですが、鬼畜と呼ばれていた時代がありまして、その頃、「汚れたなあ」と思うと、よく自転車で嵐山とか、広沢の池のあたりを、真夜中に月光浴に出かけたものです。冬のはじめ頃が特に良いです。注射のときの消毒のアルコールもすごい好きなのですが、月の光はそのイメージと不思議とだぶります。とにかく、そのような理由から、僕の曲には、プライヴェート・ムーン」や、ヴェルベット・ムーン」等、月の登場する曲が多いのです。ちなみに、新作には、89年に発表したカセット・アルバム「ロスト・イン・ザ・ナイト」から、「アンダー・ザ・ペーパー・ムーン」が入る予定です。

■ 美辞麗句
2004年08月11日(水)

大江さんの曲で、「美辞麗句」という曲があって、これがまたひどく良い曲なのです。特にアレンジが大のお気に入りで、16のミディアムは、こうやって作る。という、僕にとってのお手本みたいなアレンジなのです。で、ごめんなさい。ぱくっちゃいました。前作「結露」に収録している「Losin」という曲を、フルアレンジで新作に入れようと思っているのですが、イントロのアレンジが、どう聴いても「美辞麗句」に聞こえるのです。とはいっても、手元に音源とかないので、実際どの程度似てしまっているのか、確かめる術はないのですが、たとえ、実際にはそれほど似てないとしても、僕の中では、やはり、ぱくっているのです。でも、そのぶん、すごくかっこよくなっていると思うので、大江さん勘弁して。まあ、元々あの曲作るとき、「美辞麗句」みたいな曲ほしいなと思って作ったので、確信犯といえばそうなんやけど。

■ 苦節二十年
2004年07月31日(土)

一人暮らしを始めた十九の時から、約二十年間クーラーの無い生活です。大学の頃僕が住んでた「花園ハイツ」は、当時すでに築二十年以上の、木造モルタルで、夏場になると、それはもうサウナ並の暑さでした。それでも、四回生の時までは、実家に帰れていたので、何とか無事に乗り越えられていたのですが、一時的に勘当されていた五回生の時には、それは往生しました。
とにかく、朝八時にはお日様にたたき起こされる。まず、近所の喫茶店「ジョイ」に逃げ込みます。そこでモーニングをたのみ、午後三時ごろまで粘る。もちろん金欠なので、昼飯もモーニングで兼ねます。なんで三時かというと、近所の銭湯が開く時間だからです。それでもたまに、開くのが遅れた時なんかは、じいさん、ばあさんと一緒に外に並んで世間話。もうほとんど顔見知りです。そして又、銭湯でも六時ごろまで粘る。湯船、サウナ、水風呂、脱衣所のサイクルを数十回繰り返し、時には小説なんかも持ち込み、ひたすら日が暮れるのを待つのです。
そして、やっと「小洛」にたどり着き、晩飯にありつくのです。ここでも、閉店の十時ごろまで、たっぷりと粘ります。当時携帯電話などは無い時代でしたが、後輩なんかが僕を探す時、その時間帯から割り出せば、ほとんど確実に居場所はちきとめられました。実際、規則正しいのか、ただ単に怠惰なだけなのかわからない生活しです。時には202番のバスで、一日中京都の街を、グルグル回ってたりもしてました。(でも、だいたい三周位で注意される。)
まあ、今思えばとにかく若かったなあ。
そして昨日、ついに我が家にクーラーがやって来たのです。まあ、あとは電気代が怖いっすけど。

■ サカつく
2004年07月24日(土)

「サカつく2004」を買いました。禁断のゲームでした。ほかのことが手につきません。経営者になり地元にサッカー・チームを作り、そして運営していくゲームなのですが、選手と契約したり、環境を整えたり、地元の人々のご機嫌を伺ったりと、要するに僕が最も苦手な部分をシュミレートしていくゲームなのです。せっかく新作のレコーディングが順調だったのに、この二週間パソコン開いてません。だから、今日はゲーム禁止令発令です。現在二曲が、ほとんど出来てる状態なのですが、まだまだ先は長い。慣れないコンピューターでの作業ということで、四苦八苦ですが、思ったよりもずっと良い仕上がりで、結構楽しくやってます。当初マキシ・シングルのつもりでしたが、どうやらフル・アルバムになりそうです。かなりの問題作になると思います。なんとか秋位までにオケを完成させて、何曲かおおえさんにギター入れてもらい、年内には発売したいと思ってます。奴等が震えたあの曲も入ります。新曲もかなりあぶなめです。前作「結露」でしゃがんだぶん、たかく跳ぶつもりです。今回少し勝負してみようと思ってます。皆さん力貸して。
で、ゲームの話。一年目は資金が少ないにもかかわらず、J2で三位と健闘。二年目は、J2ぶっちぎりで優勝、J1に上がった今年は、現在首位独走中と好成績を続けてます。でも、負けたらすぐリセット押してるから、全然すごくないのです。こんな風に、人生でもリセットできたらと思うときが、しょっちゅうあるのです。

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