近日、小山卓治さんのサイトと、相互リンクできることになりました。
で、まあ、その記念というわけでもないのですが、今回から数回の間、小山さん関連の内容でいきたいと思います。まあ、僕の歴史を語る上で、小山さんは避けることの出来ないミュージシャンで、遅かれ早かれ書くことにはなってたと思いますが。

 で、今回は、今までの小山さんとの関わりについて書きたいと思います。曲についてや、音楽的なことは、後々ということで。
 
 僕が最初に小山卓治を知ったのは、’83年か’84年頃だったと思います。当時の僕に音楽的な影響を与えたカルチャーの中で、大きなウェイトを占めて たものに「音楽雑誌」があります。高校生の頃から無差別に読むようになり、20才の頃には、そのうちのいくつかの雑誌を夢中に読むようになりました。中 でも、「新譜ジャーナル」と「アリーナ37」にはかなり熱中しました。理由としては、取り上げてるミュージシャンと、僕の好みとが一致してたというのが 一番だったと思います。
「アリーナ37」は今も続いてる雑誌ですが、今はビジュアル系中心のクソ雑誌になりさがってます。でも、その当時の「アリーナ37」は浜省さんや、シオ ン、佐野さん、少し後には岩男さんなんかを中心に据えた、非常に硬派な雑誌(新聞で言えば、一昔前の朝日?)でした。そして、その、当時の編集長が、僕 のアルバムのライナーも書いてくれた、渡辺末美さんだったわけです。
少しそれましたが、で、それらの雑誌で「小山卓治」という名前に出会ったわけです。
でも、その時点では、曲を聴いたわけではなかったので、心の片隅にとどめてた程度でした。その後、’84年頃、深夜にテレビを観てて、小山さんと衝撃的な出会い(再会?)をしたのです。「ミュージック・トマト・ジャパン」だったと思います。
「DOWN」のプロモが流れてました。次の日河原町のレコード屋を探し回り、「ひまわり」を買いました。(その頃はまだCDは普及しておらず、また、僕はレコード・プレイヤーも持ってなかったため、カセットを買いました。)そこから、すっかり小山卓治に傾倒して行くのですが、そこらへんの音楽的な所は先にまわします。
で、最初の直接的な接触は’86年でした。その年、花園大学の4回生だった僕は、学園祭実行委員になりました。そして、もう露骨なまでの職権濫用(日記を参照にして下さい)で小山卓治を呼んだのです。当時の小山さんは、アルバム「Fool」を出した後で、レコード会社もかなり力を入れてた頃でした。ライブもそれまでの「バナナ・ホール」から、厚生年金の中ホールにステップ・アップしたりして、そんな中での、その学園祭でのライブはそれなりの評価を受け、こと、京都、滋賀に於ける「小山卓治ファン」の拡大にはかなりの影響を与えたと自負しています。
でも、残念ながら、その時は挨拶程度の接触しかできませんでした。その時マネージャーのような感じで来てたI氏(今はなんと「GLAY」の事務所だか、レーベルだかの社長)が、結構ヤな感じの人で、恐くて近寄れませんでした。
 次に接触するチャンスが訪れたのは、’91年のことでした。場所は再び「花園大学」。この時は、僕はもう学生じゃなか?のですが、その頃になると、浜省さんや、岩男さん、小山さんのファンの人達と、僕のリスナーの人達っていうのは、かなりダブってて、色んなところで、そういうイベントを実現しようという動きがあった時期で、そういう力が実現させてくれたライブでした。イベント・タイトルの「イリュージョン・アゲイン」とは、小山さんの曲名の「イリュージョン」と、僕の曲名の「アゲイン」を合わせたものでした。この時には、打ち上げを一緒にやるなど、大分親しくはさせてもらいましたが、音楽的には「眼中に無い」といった感じでした。少し悔しかった僕は、小山さんとの別れ際に「小山さん、浜田裕介っていう名前を、絶対憶えててください。きっと、また、小山さんの前に現れますから。」などと偉そうな捨て台詞を吐いたのでした。あーはずい。
そして、三度目の接触、それが2000年の「Voices Vol5」です。
’91年以降、僕は意識的に小山さんから離れてました。近くでライブがあっても、あまり行くこともなく、たまに行った時に、ライブの後で当時のマネージャーさんの下戸(おりと)さんに楽屋に誘われても遠慮したりしてました。その頃、僕はCDリリースしてて、どっかで「いつまでも憧れててどうすんねん」っていうところがあったのだと思います。そして、2000年、僕の方はレーベルの倒産や、それに伴う経済的な危機から、音楽活動自体を見直す時期に来てました。そんな中で「Voicesも今年で最後になるかも知れない」と思った時、どうしてももう一度小山さんと一緒にやりたい、と思ったのです。希望は実現しました。小山卓治、山口岩男、浜田
裕介の顔合わせは、コアなマニアには評価が高く、遠く北海道からも来てくれた人もいました。
そのライブでは、ついにステージでの共演も実現しました。あらかじめ僕が送った音源の中から、小山さんは「ガソリン・アレイ」を選び、僕は「NightAfter Night」を選びました。
小山さんが僕をステージに招き入れる時のMC。
「10年位前、あるイベントがあって、云々」あの時のことだ・・・。
「で、別れ際に奴は言ったんだ『浜田裕介っていう名前を絶対憶えてて下さい。必ず又小山さんの前に現れますから。』ずいぶん威勢のいい奴だな、って思ったんだけど、彼はちゃんと約束を守ったみたいです。」確か、こんな風に呼び込まれたんだよね。いやあ、本当感激でした。
ステージに上がって、小山さんのそばを通る時、僕は小さな声で、「憶えててくれたんですね、あの時のこと?」って言うと、彼はニッコリ笑って、「そうみたいだね」だって。
いやあ、かっこいい兄貴です。
その後、皆さんも御存知の通り僕は一度音楽を離れてたわけですが、皆さんのお陰で、また戻ってこれました。小山さんとの繋がりも途絶えてたわけですが、どうやら彼は、非常に物覚えのいい人みたいで、まだ僕のことを憶えててくれたみたいです。
また、一緒に歌えればいいな、と思ってます。
皆さんも、うちのサイト、小山さんのこととか全然OKですので、質問や御意見、気軽におよせ下さい。

(2005.5.21)

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